八尾市ものづくりnet.八尾のトップシェア/オンリーワン企業大阪糖菓株式会社
子供の頃よく食べた昔懐かしの砂糖菓子コンペイトウ。古くは安土桃山時代にポルトガル人によってもたらされ、最初にコンペイトウを食べた日本人は織田信長だとされる。そんな歴史のあるコンペイトウであるが、取り巻く環境は甘くはない。かつては大阪府内だけでも約40社のコンペイトウメーカーが存在していたが、新たな菓子の登場などにより市場が縮小し、現在では全国で10社未満にまで減少している。
そのような環境の中、コンペイトウの知名度向上、市場拡大に孤軍奮闘しているのが「コンペイトウ王国の王様フラット野村」こと野村社長が率いるコンペイトウ専業メーカー、大阪糖菓株式会社である。
コンペイトウは、専用の大きな鉄釜(直径180cm、重さ800kg)を時計回りに1分間に2回、ゆっくりと回転させながら、芯になるグラニュー糖に蜜をかけ、混ぜ合わせながら製造を行う。1日1ミリ程度しか大きくならず、15ミリの粒になるために、約2週間かかる。
さらに、コンペイトウの特徴である24個の角をきれいにつくるためには、鉄釜の温度、傾斜角度、回転速度、蜜の量を調整し続ける必要がある。その調整技術を習得するには3年以上必要といわれており、コンペイトウの製造には熟練の技を要し、コンペイトウの理想の角の数は24個と言われている。
大阪糖菓株式会社では、経験豊富な4名の職人が日々コンペイトウの製造に勤しんでおり、熟練の製造技術を活かして長年研究を重ね、他社が真似できない熱中症対策用の塩こんぺいや素材に拘った和三盆糖のみで作った和三盆こんぺいなどの開発に成功し、話題を呼んでいる。
大阪糖菓株式会社では、コンペイトウの知名度向上を目指して、平成15年よりコンペイトウ・ミュージアムの運営を開始した。同ミュージアムでは、コンペイトウの手作り体験の他、製造工場の見学、コンペイトウの歴史を学ぶことができ、大阪府八尾市、大阪府堺市、福岡県福岡市の3箇所でミュージアムを運営している。
コンペイトウ・ミュージアムは、現在の工場見学ブームの先駆け的存在として知名度が向上し、地元住民だけではなく、遠方からの来場や観光バスでの団体客も増加しており、ファミリー層や高齢者層を中心に年間3万人の集客を獲得している。今後は、更なる知名度向上を目指し、東京エリアにミュージアムを新設したいという野望がある。
観光地などでお土産として見かける、あじさいなど花に見立てた色とりどりのコンペイトウ。この「花シリーズ」を最初に手掛けたのは大阪糖菓株式会社であり、現在では、同社の主力商品に成長している。大阪糖菓株式会社では、コンペイトウの市場拡大を狙い、様々な新商品の開発に取り組んでいる。直径1mmの上述した「世界一小っちゃなコンペイトウ」のほか、松茸の味がする「松茸こんぺい」、グラニュー糖の中に色とりどりのコンペイトウが顔をのぞかせる「ジェムシュガー」、長時間漁に励む漁師の栄養補給として開発された大玉マーブルを更に大きくし棒付きにした「60分キャンデー」など、話題を呼ぶ商品を日夜提供し続けている。
コンペイトウ・ミュージアムは年々来場者数が増加しており、同業者の廃業など厳しい環境が続く中で明るい材料を提供している。100年企業を目指し、コンペイトウの知名度向上や新商品の開発による市場拡大に取り組むことで、コンペイトウメーカーとして昔ながらの製造方法、職人の技術を継承していく。